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北陸トンネル開通の時

北陸トンネル開通前の北陸本線敦賀~今庄間(1896年開通)は、木ノ芽峠を避け、敦賀市の海岸部に近い杉津駅(すいづえき)を経由する山中峠ルートを採っていた。だがこの区間は、海岸の山麓を縫いながら4カ所のスイッチバックを擁して25‰の急勾配を上り下りする厳しい条件の単線区間であった。途中には3箇所の駅、3箇所の信号場、12箇所のトンネルも存在し、列車の行き違いにも時間を要した。眺望こそ優れた区間であったが、速度や輸送力、列車本数(急勾配の単線区間であるゆえ、列車本数に限りがあった)の面で、重要幹線である北陸本線にとってのネックとなっていた。 勾配の厳しさのみならず、地盤の脆弱さによる崖崩れ、冬期には雪国特有の深刻な雪害にも悩まされていた。

補助機関車としてD51形蒸気機関車をつけての重連では700t.輸送が限界であったため1955年より(試作機的な)電気式ディーゼル機関車DD50形、当時最新鋭だった電気式ディーゼル機関車DF50形等が配属され、機関車三重連により1000t.輸送を始めたが貨物増には対処しきれず、1956年7月には金沢鉄道管理局管内で抑制列車は36本を数え、駅頭滞貨は3万8000t.(対前年比178%)にも及んだ。

現在ではトンネル開通など目新しくはないが、当時は折からの高度成長期と相まって、科学文明の発展のシンボルでもあり、相当な話題となった。時間のかかるスイッチバックの単線、12カ所ものトンネルをくぐる度に煤煙に悩まされていた旧線と較べ、複線電化、スピードアップ、コンクリートの枕木、蛍光灯照明の明るいトンネルがどれだけインパクトがあったかは今では想像しがたい。新線開通祝賀式典の際には報道用のヘリコプターまで出動した。

都市間連絡のスピードアップ、輸送量増加の陰で今庄駅は急行通過駅となり、新保駅、杉津駅、大桐駅の沿線は今やバスも通勤時間に数本走るのみとなってしまった。内陸部から汽車で杉津海岸へ海水浴へ行くといった時代は今は昔の語り草である。

長大トンネルながら頸城トンネルの筒石駅のようにトンネル内に駅が設置される構想は当初よりなかった。

島倉千代子の歌う「イッチョライ節」では、一番の歌詞の冒頭に登場するのが北陸トンネルである。

トンネル完成後、北陸本線では交流電化や複線化が急激に進展した。北陸トンネルは2009年現在においても北陸以北の日本海沿岸・北海道地域と関西・中部地域を結ぶ大動脈となっている。

1972年11月6日、北陸トンネルを通過中であった急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、30名の犠牲者を出した。この事故をきっかけに長大トンネル区間及び列車の空調、電源設備の安全性改善が進んだと言われている。(蒸気機関車時代は直接、蒸気そのものを機関車から客車に回せたのである。)この事故の前の1969年12月にも北陸トンネルを通過中の寝台特急「日本海」の電源車から出火する事故があったが、このときは運転士の判断で列車をトンネルから脱出させて消火したため死者は出なかった


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
北陸トンネルは北陸本線の敦賀駅~南今庄間、木ノ芽峠の直下に位置しています。

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2009年12月18日 20:18に投稿されたエントリーのページです。

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